クーネルバックナンバー|クーネル歴史散策特集

クーネル歴史特集

それは遥か遠い昔。それは神々と人間達が混然として共に生きていた頃の、いにしえの世界。「古事記」や「日本書記」に描かれた古代日本の数々の伝説の中でも、ヤマトタケルの物語は、より劇的で鮮烈で、時に不思議と現代的な印象を受ける。
ヤマトタケルは父の景行天皇から荒々しい気性を恐れられていた。クマソ(今の九州)征伐を命じられたのを機に、各地を転々と討伐することとなるタケルは、「父は私を嫌いだから命の危険のある討伐に行かせるのだ」と嘆いた。英雄でありながら、不遇の人生を送ったヤマトタケル。都へ戻ることなく、孤独のうちに異郷の地で命尽きた。そのヤマトタケル終焉の地こそ、三重県鈴鹿である。
「クーネル特集ヤマトタケルを巡る七つの謎マップはこちら!」

謎その1:ヤマトタケルの旅は伊勢から始まった?

倭姫宮 クマソ征伐から無事帰還したヤマトタケル。しかし、この英雄に父景行天皇が下したのは、非情な更なる東国征伐の命令。ヤマトタケルは涙し、「吾既に死ねと思ほし看すなり」と悲しむ。そんな彼を案じたのが、叔母ヤマトヒメだった。

ヤマトヒメ(倭姫)は天照大神を祀る場所を求めて伊勢へと辿り着き、その地で天照大神に仕えていた。東国征伐へ向う前に、ヤマトタケルは伊勢に立ち寄り叔母に会いに行く。ヤマトヒメは彼にスサノヲ尊のヤマタノオロチから出てきた御神剣を授けた。これが「草薙の剣」である。この剣が、後に彼の運命を左右する。

彼は、叔母に会うことにより勇気を得て東国征伐へと向った。その意味で、彼の最後の旅は、伊勢から始まったと言っても過言ではない。

倭姫命とは?
倭姫命は第11代垂仁天皇の皇女。倭姫命は、天照大神の鎮座地を求めて笠縫邑(かさぬいむら。桜井市にある檜原神社の附近であろうと言われている。)を出発し、宇陀から近江、美濃を経て伊勢に到着されたという。倭姫命の巡幸伝承の各地は「元伊勢」の名でも呼ばれている。

謎その2:三重県の名付け親はヤマトタケル?

杖衝坂 読者の皆様はなぜこの県が「三重」と呼ばれているか御存知だろうか?その秘密を知ることの出来る場所があると聞き早速訪れてみた。

四日市市采女町。国道1号線から旧東海道に入った古い集落の中にそれはあった。平地から高台に向かう約100m程のくねった急坂。古い街道の面影が残るこの坂は、道路が舗装された今日でも徒歩では息切れなしに登れないほど勾配がキツい。

そしてここは東国征伐を終えたヤマトタケルが故郷大和へ向かうために通ったとされている。しかもその時英雄は瀕死の状態で…。 近江の伊吹山で「荒ぶる神」と戦ったヤマトタケルは霊験あらたかな「草薙の剣」を手にしていなかったばかりに惨敗を喫してしまう。やっとの思いで泉のそばまで下山し、その清水で正気を取り戻し養老山麓から大和に向かう帰途、この坂に辿り着いた。その戦傷と疲労、心の痛み。簡単に車や電車を交通手段としている我々には想像を絶するものがある。

出血した足を引きずり、杖を衝きながら一歩一歩喘ぎながら登って行くヤマトタケル。このことからここを「杖衝坂」と呼ぶ。またこの時ヤマトタケルは「吾が足三重の勾の如くして甚疲れたり」と歌を詠んだ。「あまりの辛さに足が三重に折れているかのよう…」という意味。

実はここから「三重県」と名付けられたという伝承がある。決して明るく楽しい由来ではないが、そこには何時たっても変わらない人の故郷を偲ぶ郷愁、哀愁が込められていると考えたら心温まる名前ではないだろうか? こんなドラマが存在したこの坂を一歩一歩登ってみると、ヤマトタケルの悲愴感、胸の痛み、そして哀愁が足から伝わってくるような気がする。

謎その3:故郷大和へ辿り着いた?

加佐登神社 足が三重に折れていると感じる程の苦しみを味わったヤマトタケルは、無事大和へ辿り着くことができたのだろうか?

残念ながら、鈴鹿市加佐登にヤマトタケルの眠る墓・白鳥塚がある。そうなのだ、大和まであと一歩のところでここ鈴鹿にて息絶えてしまったのだ。

ツツジの名所としても知られる加佐登神社にその墓がある。木々に囲まれずらりと灯籠が立並ぶ長い石段をゆっくりと上がって行く。素朴でありながらも風情を感じる。 この神社にはヤマトタケルが最後まで持っていたとされる杖と笠が祀ってある。これが、加佐登神社と呼ばれる由縁である。

加佐登神社
ヤマトタケル外16柱の神々が御祭神の加佐登神社。人の身体の腫物、瘡(かさ)を始め、諸病平癒の験あると言われている。お百度参りをする方も。神社横にはヤマトタケル像がある。若くしてこの世を去ったとされているがこちらの像は少し老け顔。だが、実際のヤマトタケルは美男子だったと伝えられている。

謎その4:ヤマトタケルの死後、白鳥が飛翔した?

長期荷重に耐えられる高耐久性能 加佐登神社の石畳の入口から左へ細い道に入ると荒れた野道が続く。しばらく上り下りを繰り返し歩を進めてみる。日頃の運動不足を解消してくれるちょっとしたハイキングだ。体が汗ばみ始めた頃、白鳥塚古墳に到着する。

高台にあるこの場所からは鈴鹿山麓をはじめ、鈴鹿の街全体を見渡すことができとてもすがすがしい。その眺めは意外にも広い台地であり、まさに伊勢平野という言葉がよく似合う。それゆえこの古墳は力強く野趣的な感がある。
 
この古墳をぐるりと一周してみると、いたるところに石があるのに気付く。遥か古代この古墳には葺き石がびっしりとしきつめられ、白く光り輝いていたという。その一部が残っているという。なにげない石ころであるが、遥か古代からそこにあったものかもしれない。

ここは、ヤマトタケルの死を哀しみ墓を作ったところ、この地より大和に向かって白鳥が飛んで行ったことから白鳥塚古墳と名付けられた。野趣的である古墳にも、またドラマがあった。

故郷を目前にして息絶えたヤマトタケル。彼の魂が無事に故郷大和に辿り着いたと信じたい。


なぜ白鳥だったの?三重大学名誉教授八賀晋先生より大変興味深いお話を拝聴しました。
「古代、鳥は死者の魂を運ぶ神の使いと考えられていたんだ。つまり鳥は神の象徴だったんだな。鳥の形をした埴輪や鳥の模様をした土器を目にしたことがあるでしょ?これらを古墳の周りに備えていた。実際伊勢湾周辺の古墳から多数発見されている。三重が神々しい地と言われる由縁の一つだね。」

謎その5:ヤマトタケルのロマンス

連理の榊 武勇を連想させるヤマトタケルにも愛する女性がいた。 国道沿いに車を走らせ安楽川に架かる能褒野橋を過ぎると、森の中に能褒野神社がある。

この神社に若いカップルが各地から訪れるという。お目当ては「連理の榊」。雄株と雌株二本の榊の木が高さ3mほどの所で横に延びた一本の枝でつながっている。このめずらしい木に縁結びの願いを託しにくるカップルが後を絶たない。

実はこの連理の榊、ヤマトタケルと最初の妃であるオトタチバナヒメではないかと言われている。亀山出身のオトタチバナヒメは東征中、嵐の中漂流する軍勢を救うため自ら海の神のいけにえとなって入水し嵐を沈めた。

この時かの英雄ヤマトタケルは絶句し涙を流し嘆き悲しんだという。その二人の魂がこの榊に宿り共にいるのかもしれない。  

謎その6:ヤマトタケルの眠る墓は一体どれなのか?

能褒野神社 神々しい木立に覆われた能褒野神社入口より一歩足を踏み入れると凛とした空気が流れていて自然と背筋が伸びる。

厳かな雰囲気が漂う中、真っ白に整備された階段の上にヤマトタケルの眠る「能褒野陵(延喜式などでは能褒野墓)」があった。宮内庁の方が毎日清掃されていてゴミ一つ落ちていない。当然御陵に立ち入ることは禁じられているが、柵から見えるそれはどこか気品があり、身が引き締まる思いがする。

現在正式にヤマトタケルの眠る墓として手厚く管理されているのは、先程訪れた白鳥塚古墳ではなくここ「能褒野王塚古墳」亀山市田村町(旧鈴鹿郡)である。

このことは明治の時代背景が深く影響している。近代国家を確立するためには天皇系をきちんと整備する必要があった。そこで北勢地域最大を誇る前方後円墳である王塚古墳の方が白鳥塚古墳より相応しいと考えられ、明治12年内務省はここを「景行天皇皇子日本武尊能褒野墓」と指定し今日に至っている。

実は今日でもヤマトタケルの墓は白鳥塚古墳ではないか、という意見は多勢である。だが確かにここには神聖な雰囲気が漂い、静かな畏怖を感じさせる。そして実際この「能褒野陵」には古代ロマンを求めて全国各地から沢山の人が訪れる。自然の森公園が整備され、最近では茶屋も完成した。 自然豊かで神々しさ溢れるなかを散策していると、心が洗われていくようである。

謎その7:ヤマトタケルは実在したか否か?

鈴鹿考古学博物館 鈴鹿とヤマトタケルがこんなに深い関係にあることに驚かされた。一度は誰でも耳ににしたことのある「ヤマトタケル」。だが「ヤマトタケル」という一個人が実際に居たとは考えられていない。大和朝廷の征伐による全国的拡大は「日本」が作られる国創りと言えよう。その国家発展の名のもとに戦い続けた英雄達の象徴が「ヤマトタケル」なのではと学術的には捉えられている。

だが実際にそのゆかりの場に足を運ぶと、血の通ったヤマトタケルという一個人を意識してしまう。最期まで国を偲び故郷を目前にして世を去る。彼の郷愁、哀感は何時たっても変わらない、我々にも通ずるものがある。これまで学校の教科書には一切記載されなかったヤマトタケルが、3年前より小学校の歴史教科書に載る画期的な動きがあった。ヤマトタケルを今一度見直そうと流れが変わってきている。

鈴鹿にはかつて政庁、国分寺があった。この鈴鹿から西に目を向けると、今はその場所さえ定かではなくなった古代の鈴鹿関のあった鈴鹿山麓が見える。そして白鳥塚を始めヤマトタケルゆかりの地が多々ある。歴史あり、情緒あり、ロマン溢れる地である。ヤマトタケルと一緒に鈴鹿を散策してみると、今までとは違う鈴鹿が見えてきて、再発見があるにちがいない。